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THE WHO 60年代

PAULでしばし盛り上がっていましたが、

 

「ブリティッシュビート」の最重要バンド

 

THE WHOに気持ちを転じてみようかと思います。

 

高校生の時感じたこと・・・

色々なロックに興味を持ち、

少ないお小遣いをやりくりする中、

BEATLESは勿論ですが、

ZEPPELIN 、PURPLE 、QUEEN等の

シングルを買い漁り、

ラジオで聞いたMY GENERATIONが

欲しくて頑張って2枚組のベストアルバム

「THE STORY OF THE WHO」

を買いました。

そこで受けた衝撃が今の私の

音楽志向を決定づけました。

 

大きな音の塊を頭からドカンと落とされ、

それが一瞬にしてスパークしてゆくような快感。

最も衝撃的だった楽曲は「THE SEEKER」。

今でも毎日衝撃です。

 

 

このWHOショックがあったのですんなり

JAMに移行し、逆にPISTOLSやDAMNED、CLASH等には

大きくひかれなかったのかと今思い返します。

CLASHは大好きですが一番好きなアルバムは

SANDINISTA。

 

 

そして

パンク~70年代末唐80年代初頭の

ブリティッシュビート、オルタナの

源流をたどれば、必ず彼らにたどり着く。

 

そしてPETEが自分たちの音楽を呼んだ

パワーポップと呼ばれる音楽も。

(のちに清志郎さんがBEAT POPSと歌いましたね)


勿論アメリカのガレージ・オルタナ系も。
アメリカンガレージの重要バンドCOUNT FIVEも、

あのPATTI SMITHもWHOのカバーを

レコーディングしています(MY GENERATION)。

 

 

その特徴は、「黒」くない。

白人ながらのビート感と。

キャッチーなメロディー。

そして疾走するリズム隊。

必殺のリフとフレーズを

器用にこなすギター。

 

 

3ピースの演奏で最大限の迫力を出す

この演奏の凄さ。

(演奏3ピース型といえばZEPPELIN、

 QUEEN等もそうですね。)

 

 

 

各アルバムの私の好きな曲、

POEWR POP、BRITISH BEATの

ひな型になったのかなという曲を

当時のロックの状況とともに

書き綴ってみます。

 

個人的にはパンク・ニューウェーブ以降の

ブリティシュビートのひな型は

セカンドアルバムQUICK ONEにありきと

感じています。

 

MY GENERATION  1965   BRUNSWICK

念願の衝撃作!本当にこいつらに惚れ込んだ!

1965年のロックシーンは、

年明けにBEATLESNのHELPが発売され、

ロックミュージシャンが弦楽器をバックに歌う、

ある意味革命から幕を開け、

ROLLING STONESのSATISFACTIONが大ヒット、

DYLANがエレキギターを持ち、

SIMON&GARFUNKELがBEATLESと

熾烈なシングルチャート争いをし、

年末にはRUBBER SOULが発売されて

ロックは次の世代に向かいだす。

 

そんな年にイギリスに50年代から続く、

R&Bやソウルミュージックをこよなく愛する

MODSシーンに向けて売り込まれたTHE WHOがデビュー

(WHO以前にも当然STONES、YARDBIRDS、等

R&BやBLUESを愛するバンドも多数存在していました)。

 

当時はレコードもアルバムではなくシングルが中心で

デビュー後シングルを2枚発売し、

3枚目のMY GENERATIONの大ヒットを受けて発売。

(しかし、シングルよりも一番

儲かるのはテレビ出演であったとか・・・

なので、テレビの映像が数多くこの時代は残っています)

 

 

アルバムはほとんどオリジナル曲ですが、

R&Bのカバーも3曲は収録。

その3曲でMODS風に聞こえますが

実はものすごくポップな曲の多いアルバム。

アルバム冒頭のOUT IN THE STREET ,

シングルヒットで初期WHOのイメージを

形作った豪快なロック、

MY GENERATIONがA面ラストに。

 

B面はこれぞパワーポップ

KIDS ARE ALRIGHTで幕を開け、

最後は暴力的な演奏のTHE OXで締める。


そもそもMODSではないWHO。

幾多のシングルを発売後、

実は強烈なPOWER POPバンドとして

ここにアルバムデビュー。
(アメリカ盤は1966年に発売され

B面の曲目構成が変更されています)

 

 

著作権の問題で長年再発できなかったものが

80年代にやっとVIRGINから発売されたとき

狂喜乱舞でした。やっと聴ける!!

 

そして10年後、意を決して生まれて初めて

高額のUKオリジナル盤を入手。

A QUICK ONE  1966   REACTION

ブリティシュビート、パワーポップの原点!

1966年、ロックは大きく今までのサウンドから

大きく変化してゆきます。

黒人のコピーのR&Bやブルースから

イギリス人のブルースロックが台頭

(クラプトンはこの年にブルースブレーカーズに加入

~クリーム結成、アルバム発売)。

ROLLING STONESも自らの楽曲を充実して

初期のコピーからSTONESの演奏スタイルを作り上げます。

 

ビートルズやピートはインドに傾倒し、

新たな思想や音を曲とレコードに刻みます。

そして今までにはない全く新しいサウンドのレコード、

REVOLVERが8月に発売されました。

 

クリームのサイケ調のブルーロック、

ビートルズのサイケ調のアルバムは

ミュージックシーンに新たな衝撃を

与えたのではないかなと想像します。

また、ジミ・ヘンドリックスの渡英、

ステージ&レコードデビューも忘れてはいけませんね。

その影響下で録音され、12月に発売されたた

WHOのセカンドアルバム。
同年、シングル2枚を発売後、HAPPY JACKと同時発売。
のっけから轟音、ギターのフィードバック炸裂の

RUN RUN RUN~幕を開け。

この1曲でブリティシュビートの将来は決まった!

と感じさせる迫力とポップさを兼ね備えた大名曲。

ジミヘンの凄さとも、

クリームのブルース感とも

ビートルズのロックともポップとも違う、

これはWHOにしかできない曲。


新たな試みとして史上初のロックオペラトミーの

前章となるタイトル曲QUICK ONE、

マーサ&ヴァンデラスのHEAT WAVE、

JOHNの歌うBORIS&SPIDERS等

聴きどころは多いですが、

なんといっても

ブリティシュビート好きにはたまらない

SO SAD ABOUT US。

私と同年代の方は源体験は

JAMのカバーだったという方も多いはず。

この曲や先行発売のシングル

SUBSTITUTEなどがPOWER POPの原点であり、

60年代ブリティシュビートの金字塔と感じます。

THE WHO SELL OUT   1967   TRACK

サイケでポップ、カラフルなアルバム!

あわてて裏面写真を撮ってしまいました(笑)

1967年のイギリス、ロック目線で見ると

アメリカのフラワームーブメントと

DOORS、 JANISの台頭、

イギリスでは

アメリカのヒッピーやドラッグ、

インド哲学の影響下の

BEATLES   SGT.PEPPER'S~始まり、

 

ROLLING STONES / SATANICK MAJESTIE'S、

CREAM /DISRAELI GEARS等

また

TRAFFICK /MR.FANTASY

PINK FLOYD /THE PIPER AT THE GATES OF THE DAWN等

バンドのデビュー盤等

サイケディック一色に感じますが、

 

世の中的には

SWINGIN' LONDONまっただ中。

 

ワールドカップがイングランド主催でしかも優勝、

未曽有の景気でイギリスが絶好調の時代でした。

 

ダスティ・スプリングフィールドやペトラ・クラークも

幸せ感満載のアルバムを制作し、

TWIGGY等のファッションリーダーも現れ、

キッチュでポップで・・という

デザインがあふれ、

カラフルなイメージの時代ですね。
映画「欲望」をご覧いただくと、

なんとなくその当時のイギリスの雰囲気が

伝わります。

 

WHOは1967年6月に

モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演。

 

その豪快なステージがアメリカでも話題になり、

その年末に発売されたのがこのアルバム。

 

BEATLESがSGT.PEPPER'Sで発表した

コンセプトアルバムという概念を

WHOハイファイレコードラジオ番組風にアレンジ。

サイケデリックな曲調も多い中

MARY ANNE WITH THE SHAKY HAND

OUR LOVE WAS

I CAN SEE FOR MILES

I CAN'T REACH YOU

等、独自のポップ路線満載の名盤。

 

また、B面ラストのREAL 1&2は

次回作TOMMYに引き継がれてゆき、

60年代WHOは新たなバンドへと

変貌成長してゆくっことになります。

 

店にはこのアルバムの

MONO盤、STEREO盤がありますが

音圧音質ともにMONO盤圧勝です。

 

また、アメリカ盤シングルの

I CAN SEE FOR MILESのB面には

MARY ANNE WITH THE SHAKY HANDSの

別ミックスが収録されています。

 

 

A面1曲目のARMENIA CITY IN THE SKYは

後にピートがプロデュースして

全英1位になるシングル

SOMETHING IN THE AIRを

発表したバンドTHUNDER CRAP NEWMANの

リーダーSPEEDY KEEN作曲です。

 

因みにこのバンドのギター

はWINGS全盛期のリードギタリスト

JIMMY McCULLOCHが在籍していました。

 

最後に、アルバム毎にレーベルが

代わっていることにお気づきでしょうか。

様々なマネージメントトラブルを経て

このアルバムから70年代半ばまで

TRACKレーベルでやっと落ち着きます。

その経緯は映画

「ランバート&スタンプ」をご覧ください。

WHO好きは必見です。

 

 

 

TOMMY  1969  TRACK

じっくりアルバムを通して聴きたいアルバム

ライブで生きるこの楽曲達。

ロックが巨大な産業となる黎明期の1969年

レコードはシングルヒットも大事でしたが、

ビジネスとしてはアルバムのヒットが重要に。

WHOも67年~68年にアメリカ長期ツアーを行います。

 

BEATLESの進出以来イギリスのバンドもライブを

行いつつアメリカのチャートを狙うことも重要に。

このころはシングルだけでなくアルバムも

売れてゆく時代に変化しています。

 

この年LED ZEPPELIN、YES、KING CRIMSON等

後のビッグバンドがアルバムデビューしています。

 

WHOも、これまでのシングルヒットを狙うアプローチから

よりトータルコンセプトを作成。

ロックオペラという、これまでにない内容で、

イギリス・アメリカでも大ヒット。

これはアルバムを通して聴きたい一枚。

またこのアルバムから

PINBALL WIZARD

SEE ME FEEL ME

OVERTUREのプロモ

KAKUシングル盤が店にはあります。

アルバムとは比較にならない良音、轟音を

お楽しみください。

 

 

アルバム発売後にフィルモアイースト、

ウッドストックと2大フェスに登場。

そのパフォーマンスは全米の知るところとなって

ライブバンドとしての絶対的な地位を獲得。

70年にはWHOのライブを始めて収めた

LIVE AT LEEDS発売となります。

そして70年にはワイト島フェス出演。

フィルモアとワイト島のライブ盤に

ついてはまた別の機会に紹介します。

DIRECT HITS (UK) 1968 TRACK

MAGIC BUS  (USA) 1968     DECCA

MEATY BEATY BIG AND BOUNCY  1971 TRACK

パワーポップバンド、ブリティシュビートバンド

THE WHOの神髄、シングル盤にあり!



そして、アルバム単位で見てまいりましたが

WHOを語る上で

(イギリスの60年代を聴く上で)
忘れてはいけないのがシングル盤です!
アルバムとシングルは別物でありましたので

シングルオンリー発売のものが多数存在します。

B面でも非常に重要なものも。


ここではベスト盤の画像を上げていますが、

シングル盤詳細はリストをご覧ください。

 

〇のついているものは店に所蔵しています。

どれもこれも轟音です。

ベスト盤だと曲を入れすぎて音質が

落ちてしまっていますので、まずこれらの

レコードはかけません。基本シングルを。

 

轟音でお勧めは

MY GENERATION 

HAPPY JACK

I CAN SEE FOR MILES

THE LAST MIME

MAGIC BUS

PINBALL WIZARD

SEE ME FEEL ME

 

MY GENERATIONは貴重な当時の

発売前のテストプレスを持っています。

ベースのうなりが凄まじいです。

 

度肝を抜かれたのが

I CAN SEE FOR MILES

THE LAST MIME

凄いとしか言いようがないです。